95年ミス・アメリカ「ヘザー・ホワイトストーン」講演記録
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95年度ミス・アメリカの栄冠に輝いた重度難聴者である「ヘザー・ホワイトストーン女史」が来日し,2月23日に東京,池袋のワールドインポートマートで講演を行いました。この講演の要旨を入手できましたので,下記にご紹介します。
Heather Whitestone McCallum
Former Miss America 1995
スターズ STARS
行動による成功と夢の実現
(Success Through Action and Realization of your dreams)
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時に人生は驚くようなことが起こります。しかし、時にはそれが夢の実現に結びつくこともあるのかもしれません。
約20年前、アラバマの小さな町に住む耳の聞こえない少女は、いつの日か聞くことができない音楽に合わせて大観衆の前でバレーを踊り、そして栄冠を勝ち得ることを夢見みていました。1994年9月17日その少女は4千万人のテレビ視聴者の前でバレーを踊りました。そしてミスアメリカの栄冠を勝ち得ました。彼女は自分の夢に信念を持っていました。
私はそんな少女でした。そして皆さんにも夢はかなうということを知って欲しいのです。もしかなわないのであれば、神は自分自身より大きく、すごいものへの憧れを抱く心を人間に授けたりするのでしょうか。
夢は旅と同じです。たとえ私が皆さんのことをよく存じ上げなくても、皆さんは神から授かった人生の目的や計画−つまり夢をお持ちであると存じ上げます。皆さんは神から夢を授かったのです。そして偉大なる挑戦と喜びはその結果がどうであれ、夢を追いつづけることにあるのです。私は28歳ですが、まだ旅を続けています。そして神が授けてくださった私の夢に向かっている途中なのです。旅の途中で私は耳が聞こえなくなりましたが、話すことを学びミスアメリカに選ばれ、アメリカ中を旅し、素敵な男性と結婚し、母になりましたが、まだ夢を抱いています。私はまだ私の心に耳を傾けます。そして皆さんにもご自分の心に耳を傾け、夢を追いつづけて欲しいのです。
皆さんを夢の達成に向けて導く前に、少し私の子ども時代のことをお話したいと思います。それはSTARSという言語発話発達における基礎プログラムを身に付ける際にサポートしてくれた、私の家族と友達に関することです。私は生れたときは聞こえていましたが、18ヶ月になったある朝、私は異常な高熱とともに目覚めました。非常に重い病気で、熱は40度にもなりました。まさに生死の境をさまようという状況でした。その後なんとか回復しましたが、これは私の人生そのものを、そして私の家族の生き方をも変える大きな事件でした。
熱を下げるために医師は2つの異なる種の抗生物質を投与しました。その抗生物質は非常に強く、また危険を伴うものでした。しかし、私は生死の淵にあり、非常手段ではありますが、この状況から回復するには他に方法はありませんでした。不幸にもこのとき、投与による副作用により、今後視力および聴力を失い、知的障害を引き起こす恐れがあったのです。
抗生物質は効果があり、熱は冷めました。2週間の入院の後、医師の了解のもと、私は家に帰ることができました。しかし、このときはまだ私が聴力を失ったことを両親は知りませんでした。
2、3ヵ月後の1974年のクリスマスの日、母が家族に伝統的なクリスマスディナーを急いで料理していたときです。キッチンキャビネットを開けたとき、ポットやらフライパンやらを一斉に落としてしまったのです。その音たるやものすごいもので、部屋中の皆が飛び上がってびっくりしたほどです。その時私がクリスマスツリーで遊んでいるのを見ていた祖母が母を心配そうに居間へ呼びました。
「ダフニー」。祖母は心配そうに私を見ながら言いました。「ヘザーの耳だけど、聞こえにくいような気がするのだけど・・・あなたがフライパンとかを落としたとき、ステファニー(私の叔母)と私は心臓が飛び出るくらいビックリしたけど、ヘザーはそっちを見もしなかったのよ。」
私の耳が聞こえないという祖母の考えを信じようとしなかった母はおもむろにフライパンと木のスプーンを手に持ち、私の耳の後でバンバンと音を鳴らし始めました。でも私は後にいた母に気づくことはありませんでした。ただクリスマスツリーの光と手に持っている新しいおもちゃを眺めていたのです。
医師は家族にこう告げました。“ヘザーはもう普通の人生は送れない、うまくしゃべることもできない、3年生以上の教育にはついていけない、自分で車を運転することもできないだろう”と。しかし、私は今こうして皆さんに私自身の声で講演を行っています。私は高校を手話通訳無しで、優秀な成績で卒業しました。大学にも行きました。運転免許は16歳の誕生日の日に最初の試験で合格しました。私の二人の姉妹は最初の試験では合格できませんでした。ちなみに彼女たちは障害を持っているわけではありません。私は両親が医師の意見を全く無視してくれたことに感謝しています。両親は愛をもっと注げば、もっともっといろいろなことが可能だと確信したのです。両親は私が神より授かった夢の実現を夢見るようになりました。愛そのものがそうであるように、両親はあきらめることをせず、信念を失わなかったのです。両親は前向きな姿勢を実演し、私はそれを見て学びました。
従って、私が言語発話の基礎を習得しているとき、家族の皆がこのSTARSプログラムの基礎を教えてくれたのです。STARSとは行動による成功と夢の実現(Success Through Action and Realization of your dreams)のことです。ここには5つのスター(星)があり、成功に導く5つのポイントがあります。一つは“前向きな姿勢を保つこと”。二つ目は“ゴールを持つこと”。3つ目は“努力をいとわないこと”。4つ目は“困難に向き合うこと”。そして最後は“自分をサポートしてくれる仲間を作ること”です。
まず始める前に、夢の達成は可能であると信じなくてはなりません。ある人とある人を見たとき、その違いは非常に小さいものですが、その小さい違いが非常に重要なのです。その違いとは物事に対する姿勢であり、それはポジティブにもネガティブにもなり得ます。もし皆さんが神のご加護を信じ、そして神が皆さんを夢の実現へ導いてくれると信じれば、それは可能なのです。
ミスアラバマコンテストの審査員に、どのようにハンディキャップと向き合ってきたのですかと尋ねられた時、私は答えました。「あなたと同じ方法で」と。すると彼らは意外と思ったのか目を大きくさせたので、私はちょっと笑ってしまいました。彼らもまた人生におけるそれぞれのハンディキャップと戦っているのです。中には私のハンディキャップよりもっと大きなものを抱えている人がいるかも知れません。彼らに説明しました。もし何かが私をステージで踊ることや皆さんの前で講演することを妨害したのであれば、それは私の耳が聞こえないからではなく、私がネガティブな姿勢をとったからです、と。私はこの世の中で最も大きな障害というのはネガティブな姿勢以外にないと心から信じています。
ミスアメリカコンテストの際に、自分の声に不安を感じました。ステージで自己紹介をしたとき皆理解してくれるのか、と。私の声はちょっと違うのです。実際、あるレストランでフランス人のウェイターが私が注文するのを聞いて、驚きのまなざしで私を見て、尋ねてきました。「フランスから来たのですか? 私はフランス人ですが、あなたはフランス語のアクセントがある」と。
従って私はフランス語のアクセントがあります。でもフランス語を習ったことは一度もないのですけどね。
まあ、私の声に関する冗談は置いといて、私は自分が経験したことに関しては常に肯定的に解釈するように努めています。アメリカ人がフランス語のアクセントを持つミスアメリカを望むのかなあと思ったことはありますけど。
サイエンスフィクションのベストセラー作家レイ・ブラッドベリー氏が成功への鍵を教えてくれています。それは“自分のやっていることを好きになり、やりとおしなさい”です。また、MCIテレフォンネットワークの創立者のジャック・ゴーケン氏は“何事も不可能ではないと信じなさい。何回失敗しても構いません。あなたに必要なのはたった一回の成功なのです。”と説いています。私はこのような前向きな姿勢が好きです。
失敗は誰にもつきものです。しかし、ネガティブな姿勢がこの世の中で一番のハンディキャップであると私は信じています。私が失敗をしたときは、その原因を神や運命、また環境などの周りのせいにするのではなく、私のネガティブな姿勢が原因なのだと考えます。時に私たちは失敗をしますが、それは失敗するような計画だったからです。時に私たちは準備が整わないうちに夢の達成を試みることがあります。時に神は次なる新たな挑戦をさせるために、現在の挑戦における失敗をお許しになります。どんな大きな失敗をしても信念を持ちつづけ前向きな姿勢を崩さなければ、再び挑戦しつづけられるのです。
2番目のポイントは夢を持つことです。夢の達成と同様に、教育は立派な夢です。私は耳が聞こえないからミスアメリカに選ばれないとは考えませんでした。なぜなら私は一生懸命勉強や諸活動に勤しんだからです。ですから若者たちに高校をドロップアウトしないで、少しずつで良いから夢に向かって勉強や様々な活動を続けることを奨励しています。
エボニーマガジンのジョン・H・ジョンソン氏は小さな夢から始めなさいと訴えています。“短期間でなし得るゴールを設定なさい。大きな夢は自分の届く範囲から遠くにありすぎてしばしば嫌になることがあります。しかし、小さなゴールの達成は、次のゴールへ向かう確信を与えてくれます。”
私の夢はミスアメリカコンテストにおいて4千万人のテレビ視聴者の前で、聞くことができない音楽に完璧に合わせてバレーを踊ることでした。これは実現不可能な夢のように思え、当時はやる気を失いかけたことがありました。しかし、コンテストの2年前に短期間でなし得るゴールを設定し始めました。音楽に合わせて拍子をとることを始めました。拍子の数を数え、覚えることを始めてから2ヵ月後、次のゴールへ向かう自信が湧いてきました。ダンススタジオに行き、そこで先生に私の頭の中にある音楽にステップを振付けてくれるよう頼みました。まず、音楽の最初の30秒に特化してステップを振付けました。徐々にですが、翌月には完璧なステップを振付けることができました。それから次の30秒に特化して更なるステップを振付けていき、またその翌月には完璧なステップを振付けました。音楽は2分30秒あったので振り付け終えるまでに少なくとも一年を費やしました。
しかし、大きな夢の実現に向けてやり残している短期間のゴールがまだありました。ミスアメリカコンテストのステージに立つ一年前、実際にコンテスト会場に足を運んでみました。そこで音楽がよく聞こえず、音楽の始まりの部分が聞こえないことがわかりました。音楽の最初の部分を聞きとることは、頭の中で拍子をとっている私にとって非常に重要なことでした。観衆の数はフットボールの約2倍という大観衆です。つけている補聴器からは拍手や会場の騒音ばかりが聞こえました。そこで新たな短期間ゴールを設定しました。翌年の1年間、療養所の特にうるさいカフェテリアや学校のジム、そして大聖堂のある教会での練習を続けました。次第に騒音にもなれ、このような環境も違和感がなくなってきました。ミスアメリカコンテストのステージで踊るまでは、短期間のゴールを次々にクリアしてきた私にとって、全く緊張するものではありませんでした。
STARSプログラムの3番目のポイントは積極的に懸命に努力するという気持ちです。人は皆、懸命に努力すべきなのです。補聴器を使って聞く訓練のために、母親は口元を手で隠してしゃべっていましたが、そのことに対処する必要がなければ良かったのにと思うこともあります。しかし今となっては、やり遂げたことにとても満足しています。なぜなら家族や友人と電話で話せるようになったからです。赤ん坊のための品物を電話でオペレータに注文する事だってできるのですから。
一つの曲に合わせて踊る練習を、週に5日、毎日2、3時間しました。時には同じことを何回も何回も繰り返すことにうんざりしました。だから皆さんがどういう気持ちで私に「仕事が大変で疲れるよ」とか「毎晩宿題ばかりでうんざりだ」というのかが分かるのです。
泣きながら「主よ、どうしてこんなに過酷な運命を私に課すのですか?」と神に訴えていた時期もありました。しかし神はどんな問題にも理由があるのだということを気付かせてくれました。もたらされた困難や試練は私を強くしてくれましたし、十分に強くなれない時には神に頼ることを教えてくれました。神がなにかの課題をもって、皆さんを呼ばれた時には、自分の中のエネルギーすべてを使って準備すべきなのです。
夢を実現するにはたゆまぬ努力が必要です。懸命に努力すればしただけ、ありがたみも増します。
4番目のポイントは自分の限界を直視することです。誰でも人生の中で困難に直面します。私はヘレン・ケラーの例にとてつもない刺激を受けてきました。私と同じアラバマ出身のヘレンは、耳が聞こえず目も見えませんでした。そのうえ、幼い頃は教育するのはとても無理だと決めつけられ見捨てられていたのです。ヘレンは私が経験してきたよりももっと困難な障害を持っていました。ところが、私は彼女の賢明さに驚かされました。ヘレンは話されている言葉を聞くこともできなければ本で調べることもできなかったのに、それでもなお、素晴らしい物語を書いたのです。「何が問題かを認識しなさい。でも決してそれらの問題に征服されないようにしなさい」ヘレンがしばしば口にしていた言葉です。「自分が直面している問題から忍耐、愛らしさ、思いやりを学ぶのです。他の人々の人生や自分自身の人生にどんな奇跡が起きるかは誰にもわからないのですから。」
私自身、ミスアメリカになるのに自分の限界に直面しなければなりませんでした。初めてこのような大会に参加したのは、ミスアメリカの栄冠を得る3年程前のことです。私はインタビュー室に入りましたが、他の聴者の参加者と同じように扱って欲しいと思っていました。私の聴力障害が問題でした。他の参加者のように聞くことはできなかったのです。その大会に勝つことはできませんでした。聴力障害のみが敗因ではありませんでした。状況を支配する能力がなかったのです。家族の助力で真実を理解しこのとてつもない困難に打ち勝ちました。
母は言いました。「ヘザー、審査員達はとまどったのよ。だって、どうすればうまくコミュニケーションが取れるかを、説明しなかったでしょう。あなたの顔を見ながら話さなければいけないなんて、知らなかったのよ。ゆっくり話すように言うのよ。あなたと上手にコミュニケーションを取る方法を誰でも無意識に知っているなんて期待してもダメ。バリアが発生しそうになったら、先手を打ってバリアを取り除くのよ。」
こんなふうに応援されれば、がんばって続けていくしかないないですよね。私は自分の問題を直視し理解しなければなりませんでした。自分の問題を学習して成長しなければなりませんでした。審査員に対して、そして自分自身に対しても、誠実にあらねばなりませんでした。
それで、次にコンテストに参加した時は、インタビュー室に入ると、まるで旧友にでも会ったかのように、にこやかに微笑んで審査員に挨拶しました。空いている席まで歩いていき、腰掛け、審査員一人一人の目を見てから、母親のアドバイスを実行しました。
「こんにちは。ヘザー・ホワイトストーンと申します。」私は続けました。「私は耳が聞こえません。が、唇の動きが読めますので、ゆっくりと私の方を向いて話して下されば、おっしゃっていることを理解できます。こんなことは朝飯前ですので、ご心配には及びません。もし理解できないときは、質問を紙に書いて下されば喜んでお答えします。」
審査員は、一斉に微笑みました。私の誠実な態度が彼らに、そして私自身にも、気楽な雰囲気をもたらしたのです。審査員達は私の誠実さを評価して、心を開いてくれました。すばらしいインタビューでした。笑いが絶えず、まるで友達同志がするいつものおしゃべりのようでした。今までで最高のインタビューでした。いえ、ミスアメリカ大会中のインタビューよりも素晴らしかったと言えます。
自分の限界を直視するということは、自分がぶつかっている困難が原因で自分自身に対して低めのゴールを設定するべきだという意味ではありません。ただ、困難に打ち勝つ為には現実的に困難に対峙しなければなりません。限界が存在しないように振舞っていては限界に打ち勝つことはできないのです。
STARSプログラムの最後のポイントは能力のあるサポートチームを結成して利用することです。サポートチームなしで幸福や成功を手にいれることはできないと思っています。サポートチームのメンバーは私の抱えている問題を異なった視点から検討できるよう助力してくれます。私を哀れむことなく、私がベストを尽くせるように挑戦させてくれます。先生方もまた教育を与えてくれました。
サポートチームは「神のご加護があれば何だってやり遂げられる」ということを気付かせてくれる人々で構成されます。サポートチームのメンバーになるのは両親、教師、教会や集会に集うの人々、あるいは皆さんの人生において影響を及ぼすような人々でしょう。
もし自分のサポートチームがなければ絶望的です。あなたの夢は実現しないでしょう。この広い世界の誰一人として、たとえ一番パワフルなリーダーですらも、彼女または彼自身だけで偉大な業績を成し遂げることは不可能です。万一「自分だけの力で実現した」などと言う人がいれば、私はその人のことを、とんだ愚か者だと思うでしょう。私には分別というものがあります。
時折がっかりして落ち込むのは自然なことです。私はバレリーナでありミスアメリカでありながらも、いまだに自分自身について不安な気分になります。時には夫が私のSTARSプログラムを彼の口から聞きたいかと尋ねてきます。
スピーチを終えるにあたって、教会の説教で聞いた、元気付けられる実際にあったお話をしたいと思います。両親を無くした少女がいました。ある医者は、彼女が法律で言うところの盲目であるという、ただそれだけの理由で、彼女の将来には何の希望もないといいました。施設の年配の女性はこの医者のコメントを信じようとはしませんでした。なぜなら神が少女の人生について何か計画を持っていると信じていたからです。女性はこの少女の部屋をしばしば訪問しましたが、少女が応えることはありませんでした。そこでこの女性は甘いお菓子を作って少女の部屋に置いてくることにしました。もし少女がお菓子を食べてくれれば、少女の人生に触れることができると考えたのです。この女性が少女の所へ戻ったとき、その甘いお菓子はなくなっていました。しだいに少女は心を開き、身の回りの世界とコミュニケーションを取り始めました。
数年後、この少女は若く美しい女性に成長しました。例の医者はようやく「成長したから施設を出ていっても良い」と言いましたが、彼女は去りませんでした。彼女は施設に残って子ども達の人生の琴線に触れたいと思ったのでした。かつて、自分自身の人生が触れられたのと同じように。ついに彼女は耳が聞こえず目も見えない子どもの心をつかみました。その子どもの名前はヘレン・ケラーといいました。彼女自身の名前はアン・サリバン。ヘレン・ケラーの“奇跡の”教師です。
誰でもこの年配女性のように人々のサポートチームの一部になることができるのです。あなたはアン・サリバンでもヘレン・ケラーでもないかもしれません。しかしながら、この一人の年配女性の存在がなければ、たぶん、世界の人々がアン・サリバンやヘレン・ケラーの名前を知ることはなかったでしょう。幼いアン・サリバンに向けられた彼女の優しさがあったからこそアン・サリバンがヘレン・ケラーの心をつかめたということを、年配女性は知る由もなかったでしょう。ヘレン・ケラーが言ったように、ひょっとすると素晴らしい奇跡を人々の人生にもたらすかもしれないのです。これが成功の真の意味なのです。
前向きな態度でのぞみ、夢を失わず、自ら懸命に努力し、自分の抱えている問題を現実的にとらえ、そしてサポートチームがいれば、そうすれば、どんなことでも実現可能だということを、忘れないで頂きたいと思います。
【目次】